25歳無職です

なんか文句ありますか?(なーい)

10/1

人生で初めて台風とは無縁の日を過ごす権利を得ていた(全く無縁というわけではなく、まぁベランダの草木やペットのあれこれを家の中に運ぶなど色々やることはありましたが)ので、一日中ダラダラしていました。

気圧も低く、相変わらず薬のせいでグッタリしていたので、というのもある。

 

 

......今日は、みすみゆうかさんの初配信の日でした。

www.youtube.com

 

誰かを「愛している」と口にする時、必然的に付きまとうのは「何を」愛しているのか?という問題で、人によってはそれが外面、内面、顔だったり声だったり、その人の性格や金銭、社会的地位など千差万別になるわけです。
「全てを愛している」という言葉もありますが、それは結局その「何か」に向き合い、紐解いていくことを放棄しているに過ぎないと思い、僕は積極的に使おうとは思いませんが、それもまた正しいのかも知れません。
具体化して表現することの出来ない「何か」が本来そこにはあって、要素要素を切り出すことで欠落する可能性を恐れ、「全てを」という表現を用いるのも、正しい。

 

僕は過去、鈴原るるというVtuberを愛していました(そして今でも愛し続けています)が、その「愛」という言葉が僕にとって何を意味しているのか深く考えないまま、考えきれないままに彼女は世を離れ...... 僕の愛は宙に浮いた状態で身動きが取れなくなっていました。

 

そして今日、「みすみゆうか」さんというアイドルがYouTubeでの配信を開始しました。配信を開くと、僕がかつて愛していた人とそっくりな声が聞こえてきてビックリしました。ビックリしました。


Youtubeチャンネルを登録して、これから彼女と触れ合う時間を増やしていく覚悟は出来ています。
ただ、今後僕が彼女を好きになった時、みすみゆうかさんを「愛する」と口にする時、その理由にきっかけとしてでも「鈴原るるの面影を見た」なんていう事を含ませたくありません。
それはみすみゆうかさんにとっても、亡き鈴原にとっても失礼なことだと思うからです。

 

じゃあ、一体僕は何を理由に彼女を愛せばいいのでしょうか?そして、僕は結局「鈴原るる」の何を愛していたのでしょうか?

結局僕は愚かで見境のない人間で、声さえ良ければガワなんてどうでもいいという浅はかな価値観でしか人を愛することが出来ないのではないかという疑念が、どうしようもなく頭と耳にこびりついて離れません。

 

永遠を誓った相手に向けていたはずの愛と同じものを、声が似ているだけの別人に向けたくない。そこに独立した別の愛の形を見出して、そうして初めて鈴原に永遠を誓うことが、みすみゆうかを本当に愛することが出来るのではないか。

 

その「愛の理由」を僕が見出せない限り、本当の意味で2人を「愛している」とは言えません。

 

宙ぶらりんになったこの感情をもう一度手繰り寄せて、紐解いていく時間を僕に下さい。
そしてその答えが見つかった時、今度こそ本当に、鈴原に永遠の愛を誓おう。