寝る前に一冊読む漫画がいまあたしンちなので、昨日も9巻の序盤を読んでた。
で、あたしンち9巻には母がマツタケを買って家族で食べてみる回がある。
「私はこのままマツタケみたいな高級食材に触れ合うことなく老いて死ぬのか…」みたいな念に駆られて衝動的に一本買ってきてしまって、家族でどういう食べ方が最適か!あーだこーだ話す回(そもそも母は旅館とかで多分食べてるだろ…みたいな気はする)。
コレ見て「いや調べればいいじゃん」と思ってしまった。調べられないのに。
連載時期は2002年頃、スマホは当然ガラケーですら一人一台持ちはまだ早い時期。
パソコンは立花家にはあるにはあるが、ネットサーフィンの文化が根付いた描写はそんなにない(置物化+ゆずのオモチャと化した描写がある)。そもそもインターネットで「マツタケ 美味しい食べ方」を調べたとしても情報自体がまだそんなにないだろう、時代。
「知らないとそこで詰む」時代って、怖すぎる。
コレは写メールという文化の勃興を匂わせる2002年のガラケー記事。
2巻くらいでも「幼い頃に母(祖母)が作ってくれたカルメ焼きをどうしても食べたいが作り方が分からず、母子たちで奮闘する」という回があり、そこでも「調べればいいじゃん」と思ってしまった。9巻よりも、もっと調べられないのに。
ここら辺で調べられない時代ゆえの良さみたいなものを書こうと思ったけど、そんなのない。
あたしンち、エピソード自体は現代令和でも通じるようなあるある日常話ばかりなので、上のようなことが起きてふいに現代との明確な隔絶を意識させられると途端に怖くなる。
調べられないって、凄い時代だ。詰むじゃん。人生のあらゆる部分(今現在進行形でさえ)をインターネットに助けられて生きてきたので、それがないと思って振り返ってみると詰みポイントが多すぎる。
インターネットがあって良かったと心底思う。日記も、こんなカスみたいな話も好きに書けるし。
オチなし。意味なし。やかまし。