25歳無職です

なんか文句ありますか?(なーい)

露崎まひる、大場なな

ここ数日ずっとレヴュースタァライトのことしか考えてない(終わったはずなのにね...)。

 

ところで皆はレヴュースタァライト、誰が好き?

俺は誰とかないけどね。あの「作品」それ自体が好きなわけだから。

 

そうやって誰が1番好きだなんだって舞台の上での争いを求める観客こそが一番罪深いってわかってる?なぁ。

おい。

 

 

「露崎まひる」と「大場なな」が好きです。

(大場ななの話をする時に欠かせないのが天堂真矢なので天堂真矢も好き)

レヴュースタァライトは、永遠に焦がれてしまう弱く幼い少女たちの成長物語なので、主役はこの2人に決まってるんですよね。

 

死と再生、変化し続けることがメインテーマのこのアニメに「輪廻」と「停滞」を望んでるやつらがいたらそりゃ好きになるわ。

 

書きたいこと多すぎてダラダラダラダラダラ書き続けてたらクソ長くなってた。そんな描写無かっただろ!ってところは全部僕の妄想です。

 

 

 

🍌大場なな🍌

 

🍌大場ななと矛盾

 

永遠の幸福を求めて絶望の輪廻を巡り続けた大場なな。

色んなお気持ち表明で書いた通りで、オタクは大場ななが本当に好き。

誰よりも弱くて優しかったがゆえに、永遠の幸福なんて愚かな望みを抱いて、誰よりも強かったがゆえに、それを叶えてしまった彼女が。

矛盾を抱えて生き続ける彼女が。

 

狂ってしまったきっかけは、幸せの構成要素だったクラスメイト二人の退学。

 

 

🍌大場ななと天堂真矢

 

突然の別離にそこそこショゲてる大場ななと、舞台少女として生きていくにはあまりに幼稚なその姿勢に静かに激昂する天堂真矢。

 

舞台少女はたった一つの星を奪い、争い続けるのが宿命。

 

途中で舞台を降りた二人の、その決断の下にある、激しい苦悩と絶望と、怒り。天堂真矢はそんなこと当たり前に分かっている。

本気で舞台に向き合った人間なら一度は考えるであろう永遠の再演。そして、それは本気で舞台に臨むならば唾棄すべき幼い考えで、天堂真矢もとっくの昔に捨てたはず。

 

恵まれた体躯、素晴らしく伸びる声、舞台全体を見渡せる広い視野
(↑褒めまくりちぎりまくり)

そんな彼女が、そんな幼稚な思想で舞台を去った人間のことを思うなんて侮辱以外の何物でもない。

 

だから天堂真矢は、大場ななを許さない。

 

天堂真矢が、もっと先に、もっともっと先に大場ななと出会えていれば良かったのになと思います。天堂真矢じゃなくてもいい。誰かが、どこかで、進むべき光を、輝きを、キラめきを、彼女に示せていれば。

 

あまりにも強く、あまりにも幼稚な大場ななと、それに決して敵わない天堂真矢。

舞台少女として生きていく大場ななの矛盾を許せなかった彼女が、それでも勝てなかったのが本当に悲劇。

 

 

🍌大場ななの幸せ

 

大場ななは不幸だった。

 

舞台人としての覚悟を決めず、そのあり方を知らないまま(知る機会を得られないまま)皆の🍌として幸せを掴んでしまったことも。

そんな未熟な彼女なのに、幸運にも文字通り永遠を掴む機会が与えられるほどの才に恵まれてしまっていたことも。

 

オーディションでの序列があるから勘違いしそうになっちゃうけど、メインキャラクターの8人(一応神楽ひかりは抜く)は倍率30倍の超名門超エリート学校の中の、そこから更に選りすぐられた、完全に「選ばれた側」の人間なんですよね。

でも、大場ななにとっての幸せの構成要素は、何よりその「選ばれなかった側」の人間。「皆の優しい🍌」の「皆」にある。

(この学校に入っている時点で、皆そんな幸せは割り切って捨ててるはず、割り切れない甘ちゃんは脱落していくはずなのだが...)

 

舞台少女として歩みを進めるならば、その皆を、自分以外の人間を全て「選ばれなかった側」に落とさなければならないし、そしてそれは、初めて掴んだ幸福を失うということに他ならない(さらに不幸なことに、大場ななは失った後の何もない、誰もいない空虚な世界は知ってしまっている)。

 

幸せで、幸運で、だから不幸で不幸せという矛盾。

 

🍌大場なな大好き

 

彼女が終わらない再演で守ろうとしたのは、そんな選ばれなかった側の人間。

そして、そんな悲しみ、別れ、挫折に触れて傷ついていく弱い自分。

 

幸福を求めて繰り返した絶望と孤独の再演。届かない。届いたはずなのに。

 

眩しい。

まだ

 

眩しい。

 

;;

 

大場ななは矛盾の塊のような存在。

強いのに弱くて、幸せだから不幸で、繰り返す無限の再演を、より良いものにしようと望んでしまうような。

 

 

だから、大場なながすき。

 

🍌🍮🍌マフィン🍌ンシェ

🍌🍮🍌マフィン🍌ンシェ

 

 

🌅露崎まひる🌅

 

露崎まひると永遠

 

露崎まひるの話がしたかったのにめちゃくちゃ大場ななの話しちゃった。

露崎まひるの方が好きなんですけど、露崎まひるが好きな理由もまぁ大場ななと同じ。

 

己のキラめきを他者に委ね、大切な人の成長を否定し、停滞を望み、堕落を求め、依存に依存する露崎まひる

 

アニメ本編第5話から分かる通り、彼女もとんでもないエリートなんですよね。幼少期からの英才教育、地元じゃ負けなしトーナメント総なめって凄すぎるぜ。

そんな彼女に足りなかったのは、自分の意志で舞台に立つという覚悟。なりたいスターとしての自分の目標。

 

彼女が好きなのは、あのメインキャラクターの中で(大場ななが失うことを拒んだ)「選ばれない側の人間」と同じ精神性を持ち合わせてしまっているから。

 

アニメ本編第2話で最も印象的な、星見純那の「観客気分なら出てって」というセリフで示される通り、舞台少女は常にたった一つの星を奪い合い、争い続けるのが宿命なので、どんなに仲良しだったとしても「自分」と「それ以外」という見方をしなければいけない(だからこそ、物語の主役である愛城華恋の持つ「二人で舞台に立つ」というテーマが光るんですけど)。

 

それなのに自分の中に舞台に立つ覚悟を見いだせず、あろうことか自分以外の蹴落とすべき相手にキラめきを求めてしまっている。

自分の意志が欠けたまま進み続けたその舞台、1年時のスタァライト、そこで愛城華恋の「ずっと一緒にいる」というキラめきを掴んでしまってから。

(彼女のレヴューテーマソングである「恋の魔球」の歌詞、「ねぇキミがいなきゃ私はなんにも無くなるんだよ ゲームを終わらせないで」で顕著)

 

舞台に立つ覚悟を、意志を、自分じゃない何かに委ねてしまった露崎まひる

争うべき相手(愛城華恋)との「永遠」を望むという、舞台少女として矛盾を孕んだ生き方を選んでしまった彼女。

 

そう、大場ななですね。

 

露崎まひると大場なな

 

愛城華恋との永遠を望み、停滞し、堕落する彼女の隣に居続けることを願う露崎まひる

それなのに、神楽ひかりの影響で進み、変わっていってしまう愛城華恋を目の当たりにして、焦り怯える彼女は、まぁ大体大場ななと一緒です。

 

舞台少女を傷つけるあらゆるものから彼女たちを(何より自分を)守ろうとした大場ななと、自分を照らすたった一つの光(愛城華恋)を守り、守られたいと願った露崎まひる

 

まひるは、大場ななほど強くもなければ不幸でもなかったので、愛城華恋に負けることが出来たし、自分の「過去」からキラめきを見出すことが出来た(何より、キラめきを見出せるほどの充実した過去、周囲の人間の支えがあった)が。

だからこそ、やっぱり大場ななの苦しみが際立ってしまう。

 

幸せの在り方を知らなかったから永遠を望んだ大場ななと、幸せの在り方を知ってしまったから永遠を望んだ露崎まひる

 

永遠の昼を求めて照らす光を拒むなら、それは永遠の再演を望むことと変わらない。

 

舞台は終わる。日は沈む。

 

しかし、舞台少女として生きていく限り新しい舞台は始まり、日はまた昇る

新しい一日が始まる。

 

 

露崎まひる

君は世界を照らす太陽になれる。

 

夢は見るものじゃなくて、見せるものだから(コレも超序盤に天堂真矢が言ってる。天堂真矢本当好き。全員に幼いころから1天堂真矢割り振っておけば良かったのに)。

 

 

🍌大場ななのその後

PS 前回の記事にコメントをいただきました。

大場ななさんは世界で一番入学するのが難しいと言われる王立演劇学院にサラッと行ってるからすごいですよね。
結局彼女が舞台で演じる道に行ったのか、舞台を作る道に行ったのか明示はされていませんが、どっちだと思いますか?

毎夜大場ななを想え。

大場ななは天堂真矢をすら凌ぐ才があるので本当にすごいぜ。

劇場版のEDシーンで流れるカットによると、彼女は神楽ひかりと同じ王立演劇学院に留学するのですね。

最後星見純那はアメリカに行って、大場なながイギリスへ(そう、ひかりの側に...)行くのも良かった。

劇場版 少女☆歌劇 レヴュースタァライトを観た🍅解え合わせ編 - 25歳無職です

 

彼女は、その後どうするんだろう。

 

繰り返す再演の果てに「舞台少女の死」を観た大場なな。

劇場版では常に舞台少女を導く側、キリンと共に何かを与える側(キリンは神楽ひかりに、🍌は愛城華恋に)として、彼女たちを支える役割で描かれ続けている(アニメ本編でB組が演者と共に立ち、支える側として描写されるのと同じ。決起集会でも電動ドライバー持ってガチャガチャしてた)。

 

ただ、それはあくまで終わらない再演という、禁断の果実を手にした彼女にとっての贖罪。舞台少女の死を乗り越えて、再生に導いたことでその役は担い終わったと思うので、次は自分の舞台を進んでいけると思う。ので。

どっち?

 

アニメ本編第3話で大場ななが制作側に回るというシーンで、わざわざ天堂真矢が直々に「肯定」してるところが凄い好きなので、作る側にまわっていても良いと思います。天堂真矢をすら凌ぐ才のある彼女には、それを選ぶ権利がある。

 

星見純那と、また舞台で会うと約束したので、演じる道に進んだかもしれません。「舞台少女 大場なな」に命を吹き込んだのは、他でもない星見純那なのだから(そしてまた逆もしかり)。

一方で、演じるだけが舞台ではないということも明確に伝えられてきたテーマではあるので、今度は舞台を作る側として、星見純那の演じる舞台を作って支えることになるのかもしれません。

 

どっちに進むんだろう。眩しくて見えないかもしれません。でも大丈夫。未完成でも、進み続けることが出来るから。

すぐに見つけに行くからね。

 

🍌←刀に見える

 

 

めっちゃ凄いことになってるけどまだ全然気持ちの整理がついてない。全員再生讃美曲は聞いた?聞いた?聞いた?聞いた?聞いた?聞いた?聞いた?聞いた?聞いた?聞いた?聞いた?聞いた?聞いた?

 

再生讃美曲は聞いた?